毎週web句会第182回(2019/9/29-2019/10/5投句分)

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56名109句 森山文切選 入選33句
もう奇跡とは言わせない五平餅 青山祐己
今年こそ今年こそはとハルキスト 澤井敏治
よくしゃべる車だったね特に朝 箱森裕美
さんまより膝を笑わすスクワット 八郎
ちりとりが二つあるから羽にする 真島久美子
こぼれ萩諦めた人飽きたモノ 岩根彰子
ハイソックス履いて私の銀世界 芦田緑
一斉下校する列の祭りの日 菊池洋勝
変節にエスカレーターぎこちない 糸篠エリー
鱧の歯が生えてきてからうたえない 草薙
秋刀魚から秋刀魚の生えそうなロケ地 未補
二足歩行もできるくちびる
エレキギターを弾くスナフキン 梔子
夕陽から貰う昨日のペンライト 颯爽
青鬼の口から匂うレモンティー あまの太郎
死んだあとハイソックスに入る月 榎本ユミ
臆病な鈴虫が好き夜の蝶 水谷裕子
‪薔薇の棘二十画目で狂いだす‬ 杏野カヨ
まえがみとあそんだぼくのいすはない いゆ蘭
できたての音色が植えてある花壇 斎藤秀雄
借りてきた醤油のくせによく染みる ペンギンおじさん
ウオノメがぼんやりとするホットヨガ 芍薬
粉雪がマークシートを埋めていく 涅槃girl
一年ぶりに付箋のページをひらく 有村桔梗
順番に証拠となってゆくドミノ いゆ蘭
佳5 レプリカの海もえている四畳半 toron*
佳4 ジャケットを脱いで火を消す准教授 小俵鱚太
佳3 わたくしに飛び散るシャインマスカット 斉尾くにこ
佳2 アザラシをライバル視するエビフライ 雪上牡丹餅
佳1 新版であなたが遠くなった辞書 笹川諒
何回も猫の崩した本を積む 有村桔梗
ばれぬよう弱気を吐いたマイボトル 西鎮
ゴミ箱が動いてそれが父だった 袴田朱夏

「毎週web句会第182回(2019/9/29-2019/10/5投句分)」への17件のフィードバック

  1. みなさまコメントありがとうございました。
    多忙につき全てのコメントは拾えませんので、投句者同士で意見交換していただけると幸いです。

    変節にエスカレーターぎこちない 糸篠エリー
    「変節」はエスカレーターの性質との対比が効いています。一定速度で一定方向に進む、階段状の同じ大きさ、色、形の「節」がある、などです。意味的には、”エスカレーター式”という表現がありますが、そのような決められた仕組み、代わり映えしない日常から抜け出そうとしつつある「わたし」が表現されていると思います。

    秋刀魚から秋刀魚の生えそうなロケ地 未補
    秋刀魚の水揚げを思い浮かべました。意味から離れてイメージを考えると「秋」と「ロケ地」、「刀」と「生えそう」にリンクがあります。ロケ地の盛り上がりになんとなく同調できない「わたし」の複雑さを感じました。

    1. 解説ありがとうございます。

      日本語の文脈において、変節=心変わりというイメージがあるので、エスカレーターと結びつきませんでした。そこを、既成の意味から離れて「字面」に注目して、セツを変えるのではなくフシを変えると読み、エスカレーターの「節」に結びつけるというのは、新鮮ですがアクロバティックで、この手の川柳についていくのには苦労しそうです。

      秋刀魚も同様。この伝でいくと太刀魚、河豚、海豚、海星、まあ、当て字自体を「超短詩」と捉えればいいのかもしれませんが、自家薬籠中のものとするには時間がかかりそうです。

      現代川柳にもリアル句会があるのかもしれませんが、在住地方の常識ではリアル句会=伝統川柳会です。中には詩的な作品もないわけではありませんが、こんなぶっ飛んだ句はまずお目にかかれませんし、仮に私がこういうのを詠んだとしても、披講されることは考えられません。良し悪しはともかくとして、それが現実です。

      ということで、はぐれ蝙蝠の私め、これより北枕にて眠り候。

  2. 森山様

    自身ツイッターと無縁な生活をしておりますので気がつくのが遅れましたが、過度なご紹介とお褒めの言葉(と受け取っていいのでしょうか)ありがとうございます。

    袴田様
    涅槃girl様

    気になってお名前を検索させていただきました。在住地方で短歌・俳句・川柳と二足三足の草鞋を履く新聞等への投稿者はまだまだ少数派なので多少の自負はあったのですが、ネットではもっとフットワークが軽いのだと知りました。おみそれいたしました。

  3. 山様、忠様こんにちは。
    おふたりのコメント、とても楽しく、また興味深く拝見しております。

    「読み」ですが、私はかなり「表面的」に読んで、そのシチュエーションのギャップや乖離を楽しむことが多いです。
    今回の入選句では

    ジャケットを脱いで火を消す准教授/小俵鱚太

    火を消しているのだから、火事なのだろう。
    准教授だから、大学が燃えているのだろう。

    と淡々と事実を追っていきますが、何かヘンだ。何かズレてる。
    普通消防車を呼んで、自分はさっさと避難しないだろうか?
    緊急のことで火に取り囲まれてしまったのか?だとしても消火器とかないのか?ジャケットなんて使う?
    「大学が燃えている」って、ありえなくはない、ないけど、住宅が燃えている、ビル街が燃えている、みたいな場面に比べ、大学が火災に見舞われている、という違和感と面白さ。

    全ては下五「准教授」の面白さですが、様々な「?」がフックとなって、
    こちらの感性を刺激してくれる、楽しい句でした。

    もちろん全ての句をこのように読んでいるわけではありませんが、
    ある種の「ボケ」と「ツッコミ」を自分で作っている感覚があります。

    まだ(現代)川柳に出会って一年もたってない若輩者ですが、コメントさせていただきました。

    また、多忙の中毎週WEB句会を開催していただいてる森山様、
    改めてありがとうございます。
    生活の励みになっております!

    1. 失礼しました。
      最初の「山様」は「森山様」の間違いです。
      申し訳ありませんでした。

    2. 涅槃girl様

      一句の捉え方はいろいろあるものですね。私などは、自分の研究室で煙草を吸っていて、ボヤを起こしたのだろう、くらいにしか捉えていませんでしたので、そういう発想はありませんでした。結構損な性格かもしれません。

      伝統川柳はともかく、現代川柳というかここの句会に顔を出してまだ20週未満の「老廃」者です。「年の劫より亀の甲」とばかりにおそらく私より若い(であろう)森山様を虐めておりますが、どうぞよろしくお願いします。

        1. リアクションA:すみません、冗談です。今後ともよろしくお願いいたします。

          リアクションB:狒々ジジイギャグに乗っていただきありがとうございます。

  4. 忠さんのコメントにない句を1句だけ。

    ばれぬよう弱気を吐いたマイボトル 西鎮

    「弱気を吐く」は弱音を吐くの誤用とされています。しかし”はい、弱音を吐くの誤用ね、ボツボツ”としたのでは「弱気を吐く」というフレーズは川柳では使えないことになってしまいます。音ではなく「気」であるから生まれる主張があるか確認する必要があります。作者が意図して「気」を用いたのか単純な誤用なのかに関わりなく、です。

    上五は誤用であることとイメージのリンクがありますし、下五も「わたし=マイボトル」ですので、わたしが誤用のような存在であるとも受け取れます。音はばれそうですが、「気」ならばれないかもしれません。マイボトルにも音より「気」が合います。温かい飲み物が入ったマイボトルを開けた時の湯気のように、「わたし」の「弱気」が漏れ出す。「気」だからこそ生まれる主張があります。

    この辺は、30万アクセス記念句会議論企画内のデリケートキーの句でもふれています。併せてご覧ください。
    https://weekly-web-kukai.com/tokubetukukai/300000-171127/300000-comment/

    1. 森山様

      言葉の「語用」に関しては、「悪貨は良貨を駆逐する」。多数派が正解になっていくのが世の習い、というか宿命だと思います。もちろんこの場合の「悪貨」は「誤用」の「隠喩」です。というか、「引喩」そのものが「誤用」の蓋然性を含んだ「語用」ですね。ややこしい文章ですみません。

      面白い解釈ですが、わたし=マイボトルというのはちょっと違和感があります。ボトルは「わたしの(マイ)」一部分であって、「わたし」全体ではない。コメントしなかったのは、個人的にこの句を性的なものと誤読したからで、あとは言うだけ野暮ということになります(笑)

      1. コメントありがとうございます。

        この句の場合、マイボトル全体を「わたし」を象徴する具象として読んで良いと思います。

        性器は誤読ではないですね。一般的なマイボトルのサイズを考えるとだいぶ立派な感じがあり、「弱気」とイメージが遠いと思います。

        1. 森山様

          返信ありがとうございます。
          すると、「距離感」というのは「イメージの遠さ」と関係があるのですね。確かに、実用文と違い、詩的な表現というのは、今までの言葉と言葉の関係を打ち破って、新しいイメージを創り出す面があります。ただいやしくも(日記ではなく)投稿するからには、そのイメージが自己満足に陥っていないかという省察は常に必要で、つまりは推敲ということですが、これがなかなか難しい。

          美しいイメジを作っているだけの詩人でも
          二流の批評家がせっせとほめてくれる
          (「やせた心」中桐雅夫詩集『会社の人事』より)

          私自身、こういう「詩人」であり「批評家」なのかもしれません。少なくともそういう自戒は必要だと思っています。

          おやすみなさいませ。

  5. 年寄りはいやでも早く目が覚める。
    まあ実際はそうでもないのですが、ここに来るとそう思います。

    ゴミ箱が動いてそれが父だった 袴田朱夏
    何回も猫の崩した本を積む 有村桔梗
    今年こそ今年こそはとハルキスト 澤井敏治
    よくしゃべる車だったね特に朝 箱森裕美
    さんまより膝を笑わすスクワット 八郎
    ちりとりが二つあるから羽にする 真島久美子
    こぼれ萩諦めた人飽きたモノ 岩根彰子
    一年ぶりに付箋のページをひらく 有村桔梗

    このあたりの句は私でもわかりやすい。

    ハイソックス履いて私の銀世界 芦田緑
    一斉下校する列の祭りの日 菊池洋勝
    できたての音色が植えてある花壇 斎藤秀雄

    このへんになると一瞬?と思いますがそれなりに。ハイソックスは白なのかそうでないのか。一斉下校する列を祭りのパレードに見立てたのか、子どもたちが下校途中でお祭りに遭遇したのか。できたての音色は咲きたての花の詩的表現なのかなど、いろいろ考えます。

    臆病な鈴虫が好き夜の蝶 水谷裕子
    夜の蝶という言葉からは水商売の女性を連想します。鈴虫は彼女のことを好きだと言えない若い男性でしょうか。少なくとも、鈴虫の音色から、私のような年齢の男性は思い描きにくい。

    まえがみとあそんだぼくのいすはない いゆ蘭
    句跨りでまえがみとあそんだ/ぼくのいすはないと捉えました。おさげの女の子を含む友達と椅子取りゲームをしていた子供の頃の思い出です。あるいは、「思い出の品はもうなくなってしまった」という隠喩かもしれませんが。

    借りてきた醤油のくせによく染みる ペンギンおじさん
    飲み会か何かで刺身にさす醤油をちょっと借りた。酔っぱらって手元が狂って白いテーブルにこぼしてしまった。ああ畜生め、というところでしょうか。

    粉雪がマークシートを埋めていく 涅槃girl
    模擬試験の問題、さっぱりわからない。

    レプリカの海もえている四畳半 toron*
    朝日か夕陽でしょうか。海の複製画が燃えていると感じたのは自分の部屋か友達の部屋でしょうか。心象風景かもしれませんが。

    順番に証拠となってゆくドミノ いゆ蘭
    悪い証拠が積み上げられて、ついには…でも、おじさんは「悪い奴ほどよく眠る」を連想して、素直にそうは思えません。人間は往生際が悪いものです。環境問題だってそうではありませんか。

    アザラシをライバル視するエビフライ 雪上牡丹餅
    エビフライに心はありません。したがってアザラシをライバル視もしません。でも、そういう風に感じる人の心は自由ですし、それを抑圧する権利も誰にもありません、と宣言します。

    新版であなたが遠くなった辞書 笹川諒
    「新版の本」と「辞書」。「新版」を小説と考えれば、活字が大きくなってわかりやすくなり、ルビも増えて辞書が要らなくなった、とか、あるいは昔は意味が分からなくて辞書を引き引き読んだ本が、新版を買って読むと、辞書がなくてもすらすら意味が分かる、とか。別の解釈としては、医療や科学の本で、昔読んだ同じタイトルの本が、内容が日進月歩でついていけなくなった、だから辞書を引きながら読まなければならない、と。

    いずれも勝手な解釈です。読みながら、考えながら打ち込んでいます。しかし、

    変節にエスカレーターぎこちない 糸篠エリー
    秋刀魚から秋刀魚の生えそうなロケ地 未補
    二足歩行もできるくちびる 朧

    このへんになると、「距離感」とやらがつかみにくい、わからないというのが正直なところです。なぜ「変節」?「秋刀魚から秋刀魚が生えてくる」?「二足歩行」?

    みなさんはどのように鑑賞されたのでしょうか。

    1. コメントありがとうございます。

      他の方もコメントされるかもしれないので、選者の解釈は数日後に出します。

      コメントできる方はコメントいただけたら幸いです。

      1. こんばんは。浅い川柳歴の者ですが、一句だけコメントさせてください。忠様が最後に挙げた

        二足歩行もできるくちびる/朧

        は、上唇と下唇が脚のようになってとことこと歩く一見ユーモラスな景、ただ、あるいはもしかすると唇が肌を這うような性愛の場面、を想像しました。その場合歩くのは「口」であって「くちびる」ではないという考え方もあるかもしれませんが、口をイラスト的に表すとどうしてもくちびるが出てきますから、くちびる、は効果的かなと鑑賞しました。

        1. 袴田様

          おはようございます。

          なるほど、性愛の表現ですか。私は最初「寄生獣」のミギーを想像して、いやそれはないだろうと頭を振ったのですが、それが一番しっくりくる解釈かもしれません。ただその場合でも、歩行というからには、厳密に言えば、上唇と下唇が交互に肌に触れなければならない、しかも唇が宙に浮いてはならない、ということで若干の違和感を覚えないわけではありませんが、しかし、頭ごなしに否定するよりも生産的な見方であることは認めます。

          コメントありがとうございました。

          1. ありがとうございます。厳密に言えば、の箇所、ご指摘のとおりです。そのうえで、「まさしくくちびるの二足歩行!」と思わせるような遊びをする仲を想像すると面白い、ほほえましいなあと思います。勉強になります。(お名前に拙句の断片が…お読みいただいてありがとうございます!)

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