毎週web句会第183回(2019/10/6-2019/10/12投句分)

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49名94句 森山文切選 入選29句
煽ったりしないペーパードライバー 颯爽
一人カラオケを自分で録画する ヨッシー
答弁にやけに大きな赤い羽根 沙羅粗伊
起こそうとする夢が五月蝿い 麦乃
角砂糖一つじゃ愛は振り向かぬ 藤井智史
鬱のザラザラで包丁研いでいる 糸篠エリー
泣いた赤おに知らぬ先生
描きかけの父の自画像後ろ向き 武良銀茶
「奥さん」と呼べば脳裏の団地群 小俵鱚太
黒潮が靴と鞄を買いに来る あさふろ
着ぐるみを剥がしおとなになるところ ホッと射て
面罵されつつ板張りの節 サトシワタナベ
捜査線上に浮かんだ浮気癖 西鎮
朝四時の無地の空気の管理人 斉尾くにこ
いちめんのてのひらひかる花畑 水城鉄茶
本能のままに点滅信号機 よーこ
飴ちゃんのお礼すんなりハグされる 澤井敏治
遠雷の柔さに触れるラングドシャ toron*
たましいの代わりに果てるHB ペンギンおじさん
折り紙の袴をいつまでも愛でる 箱森裕美
たのしみにされない人の視る画面 袴田朱夏
佳5 風が吹くから離せない和紙 平出奔
佳4 泣いているふりして梅干しの真っ赤 尾崎良仁
佳3 だるまだるますごい速さで転がって 芦田緑
佳2 どうしても詩歌のような猫が居る 笹川諒
佳1 見たところ貴乃花ではなさそうだ 水城鉄茶
さざなみの錫を曲げても細い指 榎本ユミ
いきさつの固いところに肘をおく 斎藤秀雄
筆先が割れてもう一人の名前 西沢葉火

「毎週web句会第183回(2019/10/6-2019/10/12投句分)」への18件のフィードバック

  1. 忠さま

    返信できる数に上限があるので新たにコメントしますが、「共感」の示す意味とイメージが忠さんと私では違うと思います。しかし違ったままでよく、理解することを私は求めていません。大切なのは理解することではなく尊重することです。

    1. 森山様

      わざわざありがとうございます。私も森山様の意見を尊重したいと思いますが、しかし、尊重は(たとえそれが不完全なものであっても)理解の上に成り立つものだと思います。少なくとも私は、自分が理解できないものを無視する(=意識の外へ追い出す)ことはできても、「尊重」はできません。もっともこれは、理解できなくとも態度として尊重する、という「尊重」の定義の問題かもしれませんが。

      もちろん、理解=共感でないことは前提の上の話です。
      みんな違って、みんないい(金子みすゞ)
      しかし私は辛いのだ(中原中也)
      だから、ここにいるのです(笑)

      相互に理解をすればいいので、この件に関して共感の必要はありませんから、ここまでにしましょう。ありがとうございました。

  2. 忠さん、文切さん、評をありがとうございました。とても鋭い読みをしていただき、感謝しています。「もうひとつの名前」ではなく「もう一人の名前」にして良かったです。よっしゃあ!と声を上げました。

    せっかくなので、僕も気になった句の評を書こうと思います。

    本能のままに点滅信号機  よーこ

    もう30年以上前に観た8㎜映画ですが、『何事もない、夜』という10分弱の短編がありました。深夜、自動車も人も通らない道路の信号機が、ただひたすらに映し出される作品でした。スクリーンの信号機を観ていると、見えないはずの作者の姿、カメラの背後にいる作者の姿が感じられるようになってきました。信号の点滅がまるで作者の呼吸や瞬き、心臓の鼓動のように思えてくるのです。
    この句を読んで、その映画を思い出しました。ただし「本能」なので、脈拍などよりもっと大きな生命のサイクルを想像します。
    川柳というカメラを持った作者の姿が、この句の背後に見えてくるようです。

  3. ちなみに私の没句ですが

    フウイヌム国産ヤフー下剋上

    ガリバー旅行記の最終章で、ガリバーは馬の国に行きます。そこは、馬が野生の人間を支配する社会でした。馬はあくまで理性的に、ヤフーとよばれる人間たちは身も心も卑しく描かれています。作者スウィフトの視線は人間社会の風刺にあるのでそれは仕方ないのですが、ガリバーは人間のくせに馬の立場で物事を見ていると捉えることもできます。すなわち馬の国フウイヌムは一種の階級社会であると。これを打破するためにヤフーたちが立ち上がった、しかしそれは革命という大義にはならなくて、上下の関係がひっくりかえるだけのことだろう、と主張したかったのですが、これを五七五であらわすのはとても難しく、またヤフーと言えばインターネットのことを皆さん連想されますので、大変悩みました。

    1. 「フウイヌム国産」が説明的と感じました。助詞がひとつもなく言葉が多い印象です。カタカナ表記の「ヤフー」で気付いてもらうことに期待しなければ音字数が足りない主張と思います。

      1. 図々しいとは思いましたが(けして忠さんが図々しいという意味ではありません。ワタクシごときがと言う意味で)、私のボツ句も書かせていただいてもいいでしょうか。(おずおず。。。)
        殺したい人がいますがまだ秘密
        森山川柳ではいつも選ばれているのが不思議なワタクシなのですが、この句は森山さんにどう受け取られるかな~という半分好奇心みたいな気持ちで出してみました。

        1. 「まだ」に主張があるものの、殺したい理由が読者に委ねられている点が弱いです。読者に委ねる場合は皆が経験したことがあるような感情、場面である必要があります。

          揚句は我を忘れて殺したいと思ったのではありません。冷静で、軽い感じがします。殺すことをそのように捉えている人は多くないと信じたいです。

          中学生などの日常会話で「ころすよ」などは出てきます。個人的には嫌いな言い回しですが、そのような軽い意味の場合は漢字を減らすなどして、“軽く読んで”ということを示した方がよいと思います。

          1. 森山様
            大変お忙しい中、適切な素晴らしいアドバイスを本当にありがとうございます。あまりの即答にたじろいでおりますが、いろいろと感心するばかりです。これからも恐る恐る参加させていただきます。
            忠さんおっしゃる、皆様の「現代川柳」楽しませていただきます。

      2. 森山様

        やはりそうですか。しかし「共感」を前提とする伝統川柳に(断続的ではあっても)長く接してきた(書いてきた)人間=私としては、複雑な思いです。

        わっかるかなー、わかんねえだろうなあ(古い)

        それは確かに新しい表現を切り拓く矛にもなりますが、独りよがりの自分を守る盾にもなります。その鬩ぎあいや匙加減が非常に難しい。選者として、また実作者としてそのあたりはどのように考えていらっしゃるのでしょうか。お暇なときにご教示いただければ幸いです。

        1. 川柳は17音字しかないので自分の言いたいことを正確に伝えることは不可能です。共感の文芸ではありますが、説明の文芸ではありません。

          自分の言いたいことを正確に伝えたいなら、エッセイや小説の方が向いているのであってわざわざ川柳をする意味はないと思います。

          以前twitterにも書きましたが、自分から生まれた句が誰かの心に刺さったなら幸せなことです。それが自分の意図した解釈と違っていたとしても、です。

          1. 森山様

            おっしゃる通りだと思います。説明の文芸云々、については、詩でも短歌でも事情は同じでしょう。もとより私も「共感」にもたれかかるつもりなどなく、それゆえここに投稿させていただいているのですが、森山様もおっしゃる「共感の文芸」のその共感の度合いは、どの程度までなら妥当なのだろう? とリアル句会や新聞投稿とこちらのweb句会を行ったり来たりしながら、揺れ動いている蝙蝠なのであります。

            なお、誤解のないようにお断りしておきますが、先に「やはりそうですか」と書いたとおり、没の理由については、なるほどそうだろうと思っておりますので、それに対してああだこうだ申し上げているわけではありません。

            ご回答ありがとうございました。

  4. 忠さんと森山さんの読みの深さ洞察にただただ圧倒されます。
    森山句会は今後どこへ向かうのでしょう。
    入選常連の方々のコメントも読んでみたいです。

    1. 麦乃様

      誤解があるようです。麦乃さんのは、いいところなのに夢の中で誰かが起こそうとしている、やめてほしい、という句だと思いますが、こういうのはわかりやすい。伝統川柳で解釈できるからです。なので、あえてコメントしませんでした。

      現代川柳はよくわかりません。どう評価していいかも。正直、ロゼッタストーンなしで未知の言語を解くように、深い句の森を彷徨っているにすぎません。

      森山様

      確かにその解釈の方が合理的ですね。

      私は、割れた筆先=高麗人参=人間の形、と読みました。文字に魂が乗り移るのだとすれば、経由する筆に乗り移ってもおかしくないと。そこで「お前は何者だ」と問うて返ってきた答えが…どうもオカルト趣味です。

      1. 忠さま
        ワタクシにまでありがたいコメントをありがとうございます。
        正直、森山川柳は最早どこの句会でも見たことのない句ばかりがズラリ。
        「へ~~」「ほ~~」「は~~」と誤謬のまったく足りない私はただただ感心しながら見ているばかり。とにかく新鮮!と言う感じで。私自身は古臭い縄文人なのですが、ただ面白いので参加させていただいています。
        そんな中、忠さんのコメントはとても面白く読ませていただいています。
        これに懲りず、私のように面白がって読んでいる者も居るとお思いになって、気が向いたときにはこれからもコメントを書いてくださいね。

        1. 麦乃様

          >気が向いたときには

          以下、「読解」例であって、かならずしも100%「共感」しているわけではないのですが、まあ、解読者の頭の中をのぞく感じで。

          「奥さん」と呼べば脳裏の団地群 小俵鱚太
          脳裏に、だと外から入ってくる。脳裏の、だと、自分の中のデーターベースを検索する感じ。現代的である。

          着ぐるみを剥がしおとなになるところ ホッと射て
          平凡な詠み手なら「脱いで」とするところ。だが「剥がし」も悪くない。むしろこの方がいいかもしれない。役になりきっている感じがする。「脱いで」だと大人の余裕がある。悪く言えばそれは「子どもだまし」だ。

          面罵されつつ板張りの節 サトシワタナベ
          正座させられているのだろうと想像。節に当たると痛い。

          遠雷の柔さに触れるラングドシャ toron*
          擬人法。近くの雷はハードだが、遠くの雷はソフト。ラングドシャもソフトなお菓子。

          泣いているふりして梅干しの真っ赤 尾崎良仁
          語られざる共通語「嘘」。

          1. 森山様

            釈迦に説法だと思いますが、大抵の句会や新聞投稿では、選者が「心情的」に共感した句が披講されます。「あるある」ってやつで、「ユーモア」と「人情」と「風刺」が三本柱になっています。

            ここの句会はどうなのだろう、と思います。確かに知性と感性を融合させて創作したり読解したりという喜びはありますが、どうも、私が句作する中でしみ込んだ種類の「共感」とは違うような気がします。

            勿論、読解=共感でないのは「伝統川柳」も「現代川柳」も同じで、世代内共通認識と思われるものに寄りかかった伝統川柳も少なくなく、「それが何?」と言いたくなるような句がリアル句会で披講されることも、正直な話、あります。

            ここはそういう「しがらみ」がないのでお邪魔させていただいているわけなのですが、森山道場の句は機知的表現に対する面白さが先に立つ「をかし」の国で、私が知るリアル句会は「あはれ」を重んずる世界なのではないかという印象をもっております。「共感」の意味あいが違うのではという疑問です。

            違うから悪いというのではありません。ただ二つの世界が互いに「共感」しあうのはどれだけ現実的なのだろう、と思います。それとも二つの世界というのは幻想で、実は遠浅のようにつながっているのでしょうか。知的に突出したように見えるのは実は氷山の一角で、水面下には豊かな心情的共感の氷塊があるのでしょうか。

            老頭(ロートル)には難しい宿題です。

  5. 心にうつりゆくよしなしごとです。読み流してください。

    答弁にやけに大きな赤い羽根 沙羅粗伊
    「答弁」と「赤い羽根」の皮肉が効いています。

    黒潮が靴と鞄を買いに来る あさふろ
    黒潮は力士かと思いましたが、本物の黒潮だとすると、長旅をしてきて疲れたのでしょうか。

    捜査線上に浮かんだ浮気癖 西鎮
    すみません、もうしません。嘘です。

    朝四時の無地の空気の管理人 斉尾くにこ
    無地としたところが新鮮でした。

    本能のままに点滅信号機 よーこ
    私は本能が壊れてしまいました。無防備です。

    たましいの代わりに果てるHB ペンギンおじさん
    鉛筆で書く人が少なくなりました。

    どうしても詩歌のような猫が居る 笹川諒
    犬は散文。

    さざなみの錫を曲げても細い指 榎本ユミ
    トタン屋根のことか。結構力を込めたのに、太くならずに細いままの私の指。ああよかった、という感じでしょうか。それとも、物足りないという感じかも。いやいや、これで心置きなく亭主をとっちめられるとか。

    いきさつの固いところに肘をおく 斎藤秀雄
    すいません、吐きます。吐きますから、許してください。

    筆先が割れてもう一人の名前 西沢葉火
    名前が二重になりました。ドッペルゲンガーも現れました。

    1. 忠さま

      いつもコメントありがとうございます。1句だけコメントします。以前行っていた「天の句、その技と心」を思い出しながら。

      筆先が割れてもう一人の名前 西沢葉火

      最初から筆先が割れたまま書くことはあまりないと思います。実際のシチュエーションとしては、例えば”祐一”が最後だけ筆先が割れて”祐二”っぽくなるような場合が考えられます。

      この筆先が割れたことによって生まれた「名前」と「わたし」の距離が絶妙です。

      例えば、”もうひとつの名前”だと自分のもうひとつの名前という意味合いが強まり、原句より「わたし」に近づきます。「人」の形は割れた筆先の形とリンクがあるため、「人」が強調されることも相まって「もう一人の名前」だと「わたし」との間に距離が生まれます。

      “もう一人の自分”だと完全に「わたし」の範囲内に入ります。

      したがって、「わたし」の目の前にある「もう一人の名前」はこの瞬間では「わたし」ではないと捉えました。これから「わたし」になるのか別の人になるのか、「わたし」は割れた筆先のどちらを取るのかの分岐点にいるのかもしれません。

      自分が自分でないような感じは誰もが覚えたことがあると思います。その瞬間が切り取られており、感性を強く刺激する句です。

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