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はじめに
毎週web句会第1回から100回までで5句以上の入選がある方についておひとり1句、選者である森山文切がご紹介する企画です。入選句数が多い方(入選回数ではなく入選句の数)から順に、30句以上入選の方は長め、30句未満の方は短めのコメントとさせていただきました。
各句寸評をつけました。技術的事項が述べられる場合はできるだけ記載しています。技術は句において最重要とは思いませんが、選者としていろいろな角度で句を読むことに技術は必須と考えており、選において実際に考えたことを思い出しながら記載しました。
2016年4月から開始し、5句以上の入選があった方は68名。投句者のみなさまに支えられた2年間でした。今後も引き続きご投句いただきますよう何卒宜しくお願い申し上げます。
平成30年6月27日 森山文切
注1)句評では「私」と「わたし」を分けて使用しています。「私」は森山文切のこと、「わたし」は句の主語としてのわたしです。
注2)pdf 版には各投句者掲載ページを付してありますが、web版ではページ内検索で探してください。
猛暑日にびくともしないカレーパン
福村まこと (第16回)
カレーとカレーパンを比べてみると、カレーパンの方が甘さや丸さのイメージが強いです。猛暑日とカレーは示すイメージが比較的近いですが、カレーパンにしたことでイメージに絶妙な距離が生まれました。びくともしない、も形あるものを想起させるので、カレーよりカレーパンとの相性がいいですね。
猛暑日のような厳しさに対抗するためには辛いだけではダメで、甘さや丸さも必要なのではないでしょうか。
のっぽビルよ君にサンゴが見えますか
敏治 (第24回)
ビルはBuildingの意味と人名のBillを考えましたが、アメリカを示すものとして後者と判断。
ビル君はのっぽ。足元が霞むくらいにのっぽでいつも威張っています。当然サンゴなんか見えていません。歩けばサンゴを踏んづける。踏んづけたことすら気付かない。たまにはしゃがみ込んでじっくり足元を見たらどうだい?
愛犬を信頼してる万歩計
彦翁 (第92回)
万歩計を擬人化した句。「してる」のい抜きには反対の方もおられると思いますが、この句の場合は軽さを引き立てていると判断しました。
愛犬を辞書で調べると「かわいがって飼っている犬」とあります。この万歩計、かなり飼い主よりの目線で愛犬を見ているのではないでしょうかね。飼い主もこんな万歩計より愛犬を信頼しているでしょう。
鉛筆が丸くなったら強い顔
西沢葉火 (第69回)
鉛筆は丸くなると折れにくくなります。人は丸くなると柔和になる、弱くなるイメージですが、実は丸い人の方が強い。「鉛筆は丸くなると折れにくくなる」というイメージの力で「丸い方が人として強い」という主張を強めています。
「なったら」なので、まだ丸くなっていないか、今まさに丸くなったところでしょうか。選者としては強い顔に気が付いた瞬間と読みました。
混ざりたくないからずっと「る」のカタチ
くに (第69回)
「混ざりたくない」と「る」の形から体育座りを思い浮かべました。他の子はグループを組んでキャッキャしている中、私だけ体育座りのまま。「形」と「カタチ」の比較では、漢字が「混」だけになり強調される点や、「カタチ」の方がぎこちなさを感じさせる点からカタカナの方がいいと感じました。暗くなりがちな主張ですが、「る」は「ルルル」という表現もあり、暗さを感じさせません。ポジティブな「る」です。
902・・・棚田の月を数えてる
麦乃 (第27回)
直感的に「いい句」と思いました。感性は論理で否定するべきではありません。
気になるのは902の必然性。音字数的には2か5、5は中七、下五ともに濁点があることもあり音が強くなりすぎ。2は格助詞の「に」と同じ響きである点は5より優位でしょうか。
千枚田に映る月を数えている途中で、大部分を数え終えたことを自覚している点に主張があります。
父だったひとだったはずだった父
城水めぐみ (第45回)
この句の肝は「父」。これだけでは単語であって詩ではないですね。「父だった」で少し詩性が生まれますが、まだ不十分。「父だった父」これで詩としては成立します。父はもう昔の父ではないが、やっぱり父なのです。
さらに「ひとだったはず」を対象性が高い形の真ん中に配置して主張を強めています。
健忘症の父の介護を思い浮かべて辛くなりましたが、最後の「父」に思いが込められています。
お別れは握手ではなくじゃんけんで
かしくらゆう (第20回)
握手もじゃんけんも基本的には手を出す動作は同じで、ここに感性の刺激があります。
じゃんけんなら明るく別れられそうですが、普通の握手で別れたくないという、「わたし」の相手への思いが感じられます。
ずっと「あいこでしょ」が続けばいいのに。
神様に出会う気がする山陰路
武良銀茶 (第5回)
私は山陰出身(鳥取)ですが、少し田舎に行くと道が本当に暗い。たまに帰省するとこんなに暗かったかとびっくりします。しかしこの句も前出の「る」の句と同じで暗さを感じさせないのがいいですね。何事もポジティブシンキングが大切。しかし本当に出会ってしまったらどうするのだろう?貧乏神でなければいいのですが・・・。
感触はグーでミツバチもう翔ぶ気
風間なごみ (第82回)
「触」は昆虫と相性がいい。グーとミツバチも両方カタカナで濁点を含んでおり視覚聴覚ともに刺激があります。「グー」はチョキ、パーを想起させるが、「パー」は翔ぶのオノマトペ的要素もあり、この点でもイメージがリンク。様々な要素でのリンクが心地よいです。
ミツバチはイメージトレーニングもバッチリ、やる気まんまんで仕事に向かいます。ずっと「グー」のままで仕事ができるのか、私自身を重ねてしまいました。
拳にも名前を書いて下さいね
徳重美恵子 (第60回)
ネット社会になって匿名でのコミュニケーションが盛んです。匿名なので言いたい放題、罵詈雑言が並ぶこともあります。自分に都合のいい時にしか名前を明かさない社会。悪い点を指摘する時こそ、名前を明かす必要があると思っています。匿名の拳だらけの社会で「わたし」の気概を感じさせる一句。
シンプルの美とはこうだと目玉焼き
片山かずお (第52回)
私は目玉焼きが好きでよく自分で作りますが綺麗に作るのは難しいです(私が下手なだけ?)。油に引っ張られて端っこがビヨーンと伸びた状態になってしまい、ブサイク。黄身が割れてしまうこともあります。綺麗にできることももちろんありますが、その時はとても気持ちがいい。
綺麗な目玉焼きと日常のちょっとしたことに喜ぶ「わたし」が感じられます。
ドラえもんの耳なら闇鍋で食べた
藤沢修司 (第77回)
闇鍋には何が入っているかわかりません。持ってきたのはなんとドラえもんの耳。アニメのバージョンで諸説あるようですが、ドラえもんの耳はネズミにかじられてなくなったとされているので、ドラえもんの耳は「食べる」のイメージのに入ります。
ドラえもんの耳はそう簡単に手に入る代物ではないですよね。一体どんな人たちの集まりなんでしょうか。ドラえもんの耳によって、闇鍋自体の怪しいイメージを更に膨らませることに成功しました。
伝説になった昭和の団子汁
あそか (第49回)
伝説という大きな導入と、いかにも伝説にはならなそうな団子汁との対比がいい。かといって全くかけ離れているわけではなく「昭和の」団子汁なら伝説になってもおかしくはないと感じさせるのは不思議。昭和を使った句はたくさんあるのでありふれた表現だと埋もれてしまいますが、この句の表現には埋もれない強さがあります。
マネキンのR指定のふくらはぎ
海賊芳山 (第42回)
Rの下の部分の形はふくらはぎのよう。上の丸い部分もふくらはぎの丸さとイメージのリンクがあります。
量販店の洋服売り場にはたくさんのマネキンが並んでいて、中には妙に色っぽいマネキンも。X指定のマネキンは当然ダメ、R指定でも子供がたくさん来るので難しいと思いますが、このマネキンはふくらはぎがR指定とのこと。子供たちのはしゃぐ声を聞きながら、場違いなことを考えている「わたし」を感じました。
お化粧がとれてしまったので帰る
若芽 (第27回)
飲み会は楽しい飲み会ばかりではなく、途中で帰りたい飲み会もあります(ない人はシアワセ)。いろいろ言い訳を考えますが、周囲を納得させる理由を考えるのはなかなか難しい。
「お化粧がとれてしまったので帰る」
これは納得せざるをえない。しかもカワイイ。テクニックだとしたら、相当な手練。
真実はここよとバニーガールのぽんぽん
篤子 (第32回)
「真実はどこにあるか」は川柳ではよく用いられるテーマですが、「バニーガールのぽんぽん」ですか。バニーガールの耳でも胸でも網タイツでもなく、ぽんぽん。白くてふわふわしていて耳や胸より抽象的で、真実があるかもしれないと感じました。真実がそこにあるなら追いかけなければなりません。ぽんぽんがちょうどお尻の位置にあるだけで、決してバニーガールの尻を追いかけているわけではないことは申し添えておきます。
まっ白な人を好んでいる企業
圦山繁 (第38回)
日本で人材育成といえば短所を改善することが主眼に置かれがちでした。最近では短所より長所に注目する手法が主流です。この句のような企業は今後どんどん淘汰されるでしょう。AIが急速に進化しており、「人」を必要としない業種が増えていきます。自分の色をしっかりと持っている人材を多く抱えておかなければ、生き残ることは不可能です。川柳も同じですね。
持ち歩く傘が重たいこともある
澁谷さくら (第19回)
傘は雨、濡れるなどネガティブなイメージがある言葉を想起させるので、重たいとは相性がいい。
「重たいこともある」ということは、重たくないこともあるということ。持ち歩くくらいの傘だから普段は重荷にはならないはず。身近な具象により「わたし」の心境がうまく表現されています。
リリーです言葉の端にいたリリー
岩根彰子 (第82回)
まず形から考えると、「リリー」がこの句の端にいます。そして「言葉の端」の端にもリリーらしき形状があります(下図の赤枠部分)。
このような考え方は言葉遊びのようですが、サブリミナル効果やメンタリズムのように意識していなくても思考に影響します。
「文切です、沖縄の文切です」は私も実際に使うフレーズ。思い出してもらうためのフレーズが「言葉の端」とは面白い。「君はいつも言葉の端にいるね」などと言われたことがあるのでしょうか。だとしたらその人はリリーの最大の理解者です。
傷ついた舌流暢に語り出す
石森あやみ (第27回)
痛いところを突っ込まれたり、プライドが傷つけられたりすると自分でも考えもしないくらいに言い返してしまうことがあります(ない人はシアワセ)。この句の「語り出す」は客観的で、「わたし」ではなく「舌」が語り出している点も客観的視点を強調しています。語り出したら自分で止めたくても止められないことが、客観性により強められています。
ヤクルトを二本飲んだら悪ですか
尾崎良仁 (第74回)
具体性がいい。「おとーさん、ヤクルト勝手に飲んだでしょー!サイテー!」と聞こえてきそう。「ヤクルト」「二本」という具体性がある、点の表現だからこそ心に響く。ヤクルトの味、色、大きさ、形も句の印象に影響しています。例えば、
牛乳を二本飲んだら悪ですか
羊羹を二本食べたら悪ですか
とは全然違う。「ヤクルト二本」の見付けに拍手。
過去形になってはくれぬ片思い
たまき (第57回)
過去形になってほしいくらいなので辛い恋なのでしょうか。相手のことをあまりよく知らない片思いの場合はあれこれと妄想が膨らんで楽しい片思いになりますが、よく知っている間柄だと見込みがないことを悟って辛くなってしまいます。でも次の恋が始まるとすぐさま過去形になるはず。次の恋を待ちましょう。
セーリング瀬戸内海は試歩の風
永見心咲 (第55回)
海で競い合うセーリングを眺めながら、瀬戸内海から吹く爽やかな風を感じています。歩く訓練はいきなりうまくはいかないかもしれないですが、この前向きさがあればセーリングのようにスイスイと歩ける日も遠くはなさそうです。
具象画しか描けぬ女でいじっぱり
たかこ (第9回)
絵の話だが川柳にも当てはまります。私はどちらかというと抽象画タイプの川柳が好きですが、だからといって具象画タイプの人を中傷しようとは思いません。お互い意地を張りながら、でも尊重しあって、共に歩めばいいんです。
輪を抜けてはっきり見える輪の形
沢田正司 (第54回)
何事も自分が当事者であるうちは全体像が見えてきません。少し離れて眺めてみて初めて理解できます。この句の場合少し歪んだ輪なのでしょうが、まだ「輪」と認識できています。「わたし」が輪に戻れば綺麗な輪になるかもしれませんね。
温もりを求めて夜の交差点
阿部千枝子 (第84回)
田舎の生まれの私からすると「夜の交差点」は人があまりいなくて却って寒くなりそうですが、都会の交差点は夜も人がいっぱい。でも人がいっぱいでも都会の交差点で温もりって感じられるのかなぁ・・・。もしかして、ナンパ待ち?
指の先乾いてスマホ動かない
森田旅人 (第67回)
スマホがうまく反応してくれない時、ありますあります。でも乾いているのは指先だけではなさそうですね。誰かにふーふーしてもらいましょう。
脱獄の気分に浸る定年後
星野睦悟朗 (第41回)
人により定年後は投獄されたような気分になりそう。脱獄ですから自由を感じるだけではなく、どこかで「追われている」というような複雑な感覚もありそうです。
平成に褒められるようラストラン
はな (第81回)
「わたし」も平成と同じようにラストランに差し掛かりましたか。でも平成とは違って終わりはまだはっきりとはしていないはずです。自分ではラストと思っていても、先は長いかも。
年末になるとそわそわする右手
やっこ (第36回)
年末になると何かと忙しくそわそわしてしまいがち、当たり前といえば当たり前ですが、「右手」の限定が効いています。厄介な右手ですね。左手の落ち着きを見習ってほしいものです。
新しいノートに記すケアプラン
さなえ (第14回)
「新しいノート」がとても前向きに感じました。介護は大変でうつむいてしまいがちですが、本人も介護される人もみんなに無理のないプランが大切ですよね。
カーテンもそろりと揺れる新天地
めぐむこ (第52回)
大学進学で沖縄に来てかれこれ20年になりますが、途中2年ほど仙台で仕事をしました。仙台に引っ越してまずやったのがカーテンを買うこと。新しいカーテンの匂いを感じながら、新天地でうまくやっていけるのか、期待と不安を覚えたのを思い出しました。
天麩羅定食の影が長くなる
井上一筒 (第15回)
天麩羅定食で影が長くなる要素、海老天でしょう。直視できないほど豪華な。天麩羅定食の象徴である海老天の影が落日に伸びてゆく。海老天=首相、天麩羅定食=日本という読みもできる・・・が、「わたし」の不安は単に胃もたれかも。
罪名は付かない雨の横殴り
masayoshi (第83回)
技術的には「殴り」と「罪」にイメージのリンクがあります。人を殴ると傷害罪という罪名がありますが、雨には罪名はつきません。たとえそれが、ふられた後の罪な雨だったとしても。
コーヒーミルゴリッと意地が砕かれる
アゲハ (第94回)
コーヒーミルを回す動作と豆が引かれる音のリズムって不思議な心地よさがありますよね。
でもたまにゴリッとリズムが乱れます。あれって「意地」だったんですねぇ。動き、音がうまく取り入れられています。
高校も順路に入れる選挙カー
ツボ (第11回)
時事吟ですね。高校生も選挙権を持ちました。しかし授業に支障ない範囲でと決められているようで、候補者からすると難しさもありそうです。授業中にうるさかったら票を失うかもしれませんからね。いや、むしろ票が増えるのか・・・。
置き去りにされたばかりの蜃気楼
鈴鳴うた猫 (第65回)
置き去りにされなかったら生まれなかった蜃気楼。水平線に見える船か、アスファルトの逃げ水か。置き去りにされたのは「わたし」の方かもしれません。
ダイエットしたか秋刀魚もスリムなり
孝代 (第82回)
秋刀魚は言われてみれば確かにスリムですが、秋刀魚がスリムかどうかは普段あまり意識したことはありません。「わたし」がダイエットしているからこその視点です。
再出発するにはちょっと赤がいる
くじょうまる (第57回)
「ちょっと」が効いています。再出発するための勇気をくれる赤。たくさんは要らない、「ちょっと」でいい。前に進みたいけど進むことができないもどかしさが「ちょっと」に込められています。赤をハンコと読むとまた違った趣きがあります。
缶切りでキコキコきみの海開ける
喜屋武白雨 (第25回)
「き」の音が4つリズムよく含まれていて心地よい。「缶切りでキコキコ」という庶民的な導入から、「きみの海開ける」という壮大さへの流れもいいです。缶切りで海開きじゃ〜!
合コンは無縁ですのでせんべろで
むぎのあわ (第93回)
実感が溢れすぎている句。スンバラシイ。私もせんべろよくやります。だいたい一人で立ち飲み屋。イヤイヤ、私は合コン無縁ってわけじゃねぇんですよ。昔はモテたんだ、ムカシはよぉ。
裏口に父が来たらしミカン箱
宮野みつ江 (第30回)
「父」が見えます。どんなお父さんか、「わたし」とどうゆう関係を築いてきたか。「ミカン」のオレンジ色や丸さも句のイメージに一役買っています。メモも電話もよこさない父。連絡はいつも「わたし」から。
右からも左からも救急車
御泉水 (第99回)
「わたし」はキューとキューの間にいるんでしょうかね。何か大事のようですが、「わたし」に当事者感はありません。第99回の入選句なのは完全に偶然です。
廊下埋め尽くし鳩が知らせにくる
斎藤秀雄 (第95回)
廊下一面の鳩が見えました。この句も一大事ですが、救急車の句とは違って当事者です。一体どの鳩の手紙を読めばいいんでしょうか。片っ端から読んで、多数決にしましょうか。
チョコボールぱおぱおぱおと噂好き
平井美智子 (第100回)
キョロちゃんの鳴き声なら「クエックエックエ」じゃないのかと思いましたが、それだと事実を述べただけになってしまいます。噂の怪しさとぱおぱおぱおの響きのイメージをうまくリンクさせました。でもちょっとズルいかな。
メモの句が息をしていたごみの中
次根 (第6回)
すぐに救い出して蘇生しなければ。まだ息はあります。一回ごみ箱に行ったのに息があるのに気がついたのですから、この句は何か持っています。没だったら選者を恨みましょう。
ご自由にどうぞバザーの端の僕
辻堂墟庵 (第46回)
フリマで物を売るのは難しい。競合する他の出店者との兼ね合いもあるようです。(自分の店より安かったりすると嫌がらせを受けたりするらしい)。もういっそ僕を持って行ってちょうだい。
新聞の取材もっぱらSNS
八郎 (第95回)
SNSが盛んになって、取材のネタをSNSから得る記事が増えてきました。取材も現地に行かずSNSのみで終わらせることも多いようですね。「足で稼ぐ」という時代は終わってしまうのでしょうか。さみしい限り。
ご先祖はニライカナイの半魚人
芥子 (第74回)
ニライカナイは沖縄の言葉で、「神の国」を示すものです。久高島がニライカナイであるとか諸説あるようですが、島なら半魚人が神様に仕えていてもおかしくないですね。
単に魚に似ているのではない、神に仕える半魚人に似ているのだ。どうだ、スゴイだろ。
部分点集めて君をゲットする
藤井智史 (第93回)
部分点だけではいくら集めてもオトモダチまででしょう。カレシに昇格するためには一気の大量得点が必要です。ある程度部分点を貯めたら、覚悟を決めて一気に攻めましょう!
遊歩道には一円も落ちてない
丹下凱夫 (第62回)
自動販売機の周りなら一円どころか百円も落ちているかもしれませんが、気持ちのいい遊歩道で財布を出す人は少ないでしょう。遊歩道を歩く時くらいはオカネのことは忘れましょうね。
唄ったら気持ち良くなるから不思議
藤井康信 (第74回)
カラオケでストレス発散!普段大きな声を出す機会はないし!今日は歌うぞ〜
ん、なんか周りはしかめっ面ばかりだな。
あれっ、あの人は耳をふさいでいる。
なんでだろう?
ノーアイロンシャツにアイロンして決める
由美 (第3回)
何か決めなければならないことがあるようですが、少なくともとても重大なことではなさそうです。でも何かしないと決められない、その何かが「ノーアイロンシャツにアイロン」すること。悩み具合が絶妙な表現で示されています。
背伸びする癖はそろそろ止めにする
結城昭信 (第6回)
何事もついつい背伸びしてしまいがち。少しずつ盛った話が積もり積もって自分の首を絞めることになります。もう止めにしたいけど、「そろそろ止めにする」自体がもう背伸びしているかも。
松茸がなにさ新米栗ご飯
撫子 (第78回)
そうそう、背伸びしないのが一番です。国産松茸なんて確かに美味しいけど、値段を知っていたらもう楽しく食べることができませんよね。おごってもらうのなら大歓迎ですが・・・。
泳力をつけた織女が逢いに来る
水たまり (第12回)
織姫と彦星は会えるのは年1回ですが、この織女は自分で泳いで会いに来てくれるそうです。
相当な泳力が必要になりますね。「わたし」はただ待っているだけでいいのですか?
観客はいないけれども主人公
夢香 (第46回)
そうです。自分で決めればいいんです。主人公を主人公たらしめているのは観客ではなく主人公の自覚です。ずっと続けていればそのうち観客も増えてくるでしょう。
水色を作るパレットなら胸に
くみくみ (第100回)
水色のイメージがうまく取り入れられています。パレットはあるけどまだ水色は作られていないかもしれませんね。パレットはあると断言できるのですから、思いっきりあなたらしい水色を作ってくださいな。
ぬるいビール冷やし忘れたのはワタシ
べにすずめ (第15回)
それはもう仕方ないです、自己責任でぬるいまま飲んでください。なぁに、2、3本飲んだらぬるいか冷たいか自分でもわからなくなりますよ、きっと。
純粋な反旗をプロに汚される
よけだ (第60回)
「プロ市民」という言葉があります。純粋な市民活動を利用して利権を得ようとするのは許せない行為です。利用されないように気をつけなければなりませんよね。
チケットレス特急の席味気ない
城崎れい (第59回)
私は出張でときどき特急に乗るのですが、チケットレスが増えました。席の上にあるランプで予約されているか確認できるタイプもあります。便利にはなりましたけど、どこか味気ないですよね。素直な実感句です。
ガラクタも捨てる勇気がありません
中矢長仁 (第16回)
物を捨てるのは本当に難しいです。私は捨てられない時は、まだ捨てるときではないのだと考えるようにしています。しかるべき時が来たら、ガラクタの方から捨てていいと言ってきますよ。それまで待ちましょうか。
鍋磨く爺婆だけの四コマ目
葱坊主 (第14回)
すごいオチですね。どういう流れでこのオチになったのでしょうか。爺婆以外も鍋を磨いていたのか、はたまた鍋以外のものを磨いていたのか。想像をかきたてる表現です。
慣れっこよいつも遅れる路線バス
パッキー (第73回)
20年前沖縄に来た時は本当に実感しました。でも最近はかなり改善されたんですよ。手を挙げなくても止まってくれます。当たり前といえば当たり前なんですが、沖縄らしさをなくしてしまったようで、ちょっと寂しい気もしています。
さみしいと連呼しているオウムたち
海月漂 (第96回)
「わたし」がさみしいと連呼しているのでしょうか。オウムたちは励ましてくれているのかもしれませんね。複数のオウムの鳴き声と「わたし」のさみしさの対比が効いていると思います。
貝殻の中に閉じ込められた音
宮坂変哲 (第57回)
思い出の音がします。出してほしいと訴える音。たまには貝殻から出して開放してあげましょう。沖縄の海がぴったりです。ぜひ沖縄にいらしてください。
廊下の砂誰かの靴の中の砂
黒しま (第100回)
小学校の廊下を思い出しました。なぜか砂がたまるんですよね。誰かと一緒に遊んで、一緒に廊下までやってきた砂。みんなの授業中、砂同士集まってどんな遊びをしているのでしょうか。
文切様
6/26までは一番乗りを目指し、度々チェックしていましたが、6/27発表の瞬間は後れを取ってしまい、残念!。川柳塔誌の電子化/若手同人エッセイ/各地の句会への参加、お疲れさまでした。日付変更の時刻、明日(6/28)ゆっくり拝読させていただきます。
それにしても、延べ人数は毎週の参加者数に対して随分多いのですね。
お疲れさまでした。感謝!!敏治
コメントありがとうございます。
5句以上の入選の方が68名なので、1回でもご投句いただいた方を含めると100名くらいです。
今後もご投句よろしくお願いします。
こんばんは
森山様
本当に実行なされたのですね。68名の川柳人への怒涛の愛のコメント。
ただただ恐れ入るばかりです。
超多忙な日々の中で少しばかりおろそかになっていることも多々あるとお察しいたします。そんな中で有言実行への道はまっこと「ハンパナイ」と思います。ありがとうございました。
投稿は日増しに増えていらっしゃるようで心強い限りです。
私は100回でとりあえず卒業させていただきましたが、これからの益々のご発展に心よりエールを送らせていただきます。
コメントありがとうございます。一番おろそかになっているのは睡眠時間ですね。サッカーW杯もあって寝不足です。
いつでも再入学可能ですので気が向いたらご投句くださいね。
毎週WEB句会では大変お世話になっています。毎週毎週大変なご努力には感謝いたします。またこの度は「毎週WEB句会秀句集(第1~100回分)」を公開していただき、ありがとうございました。さっそく印刷させていただきました。立派な句集に私も掲載して頂き驚きと感謝でいっぱいです。皆様方の秀句と句評を何度も読ませていただき、少しでもいい句が読めるよう勉強させて頂きます。 毎週WEB句会は日本一のスピードで運営され句評も斬新でスリル感があり、毎週わくわくしながら覗いています。覗くだけでなく今後は努めて毎週挑戦したいと思います。 今後ともよろしくお願いいたします。
コメントありがとうございます。印刷いただいたとのこと、pdf版も作った甲斐がありました。今後もよろしくお願いします。
遅くなりましたが、毎週web句会第1回から100回までの秀句集を公開しました。句数が多くなりすぎた感がありますので、次回101回から200回では、「佳作又は三才に1句以上入選がある方の句を、おひとり1句」とさせていただきます。
今後も毎週web句会をよろしくお願いいたします。
ありがとうございました。大変な労力を掛けられたとお察しいたしますが、堪能いたしました。公開された秀句のなかに、私も感銘を受けた句がたくさんあり、またそれらが文切様のシャープな句評により、奥行きが深まったように思います。掲載されたこれらの句の瑞々しさは、自由吟の瑞々しさでもあるように感じました。文切様の川柳への篤き思いも同時に伝わってきます。今後ともこのWEB句会を末永く続けて頂くように心からお願いいたします。
コメントありがとうございます。ご投句いただくみなさまがあっての毎週web句会です。今後もいろいろと企画していきたいと思っていますのでよろしくお付き合いいただきますようお願いいたします。
おはようございます
皆さん力作の集まりですが個人的にはやはり「くにさん」のファンです。ずず~~~っと見ていきますと面白い作品ばかり。くにさんの作品集が欲しいです。
他での作品はわかりませんが、web句会の作品は珠玉の集まり。これも森山さんがこういう句会を開いてくださっているからなのですね。「くにさん」の作品に会えるだけでも毎週web句会に参加してよかったです。
コメントありがとうございます。
毎週web句会の作品集を作成するのもいいかもしれませんね。今年は夏ごろから新しいことを始めたいので、200回記念あたりで作品集にしましょうかね。色々考えてみます。
森山文切様
改めて
「新年おめでとう。本年もよろしくお願いします」。
毎週WEB句会秀句集とは、有り難いし、うれしい限りです。新家完司さんのブログでこの句会の存在を知って、第3回から90回までは皆勤。
それも、文切さんの若さのバイタリティに魅せられたからで、心底より感謝しています。良きパパであり良き夫でありますように、祈ります。
さくらのころでしょうか、楽しみにしております。1/10
コメントありがとうございます。
どの句を掲載するかもう決めている方もおられますので、時間を見つけて少しずつ作業を進めているところです。さくらのころには地域によっては間に合わないかもしれませんが、ゴールデンウィーク前には公開したいと思っています。