選評をリクエストにより行う企画です。アンケートにご回答いただきありがとうございました。また、当初予定になかったお願いにもかかわらず、お忙しい中評を快くお引き受けいただいた選者のみなさまに感謝致します。
選評リクエストのご感想を下部のコメント欄にいただけたら幸いです。
まだ先ですが(5月か6月の見込み)、20万アクセス記念句会の要項が決まっておりますので発表します。
—–
川柳塔おきなわ準備室20万アクセス記念句会
自由吟おひとり2句まで
月波与生、森山文切 共選
※結果発表の後、選評を選者の対談形式で行い掲載します。両選者が入選とした句のほか、一方が入選とし一方が没とした句を中心に対談できればと思っておりますが、最終的にどのような対談内容を掲載するかまだ未定です。
—–
次回もよろしくお願いいたします。
では、選評をどうぞ!
(句は順不同です)
評:真島久美子 | ||
オリオン座入荷と冬の受信箱 | 斉尾くにこ | |
選をしながら、ドキドキするような句と出会うと嬉しくなります。この句はまさしく「出会ってしまった…」と呟いた句でした。ちょうど姪の宿題で、オリオン座の位置をスケッチする為に朝4時起きを繰り返していた頃でした。(曇りが続いてなかなか見えませんでした)「入荷」という言葉が、一つの星座をしっかりと受け止めていて気持ちがいいです。心の受信箱にこんな素敵なメールが届いたらどんなに素晴らしいだろうかと思い、迷わずに天に選びました。
|
||
スマホ百態 耳の貧しさ死の甘さ | 平井美智子 | |
とても寂しい位置にスマホが置いてあり「死」ですらまるで他人事のように視線の中を通り過ぎて行きます。まさに「スマホ百態」だと感じました。そしてスマホを片時も離さない自分自身は「忙しい」なんて口では言いながら、ただの怖がりなのだと気付くことが出来ました。「耳の貧しさ死の甘さ」という言葉の並びが絶妙で、とても共感した句です。
|
||
進化論信じて今日も縄を綯う | 高浜広川 | |
個人的に「進化論」が好きなのです。私も数句「進化論」を使って作句をしたことがありますが、器用に遠まわりしたような、ぼんやりした句しか出来ませんでした。「縄を綯う」という下五が、私が求めていた進化論の句の原点のような気がして、かっこつけなくてもいいのだとこの句に教えてもらったような気持ちになりました。
|
||
皹の手の男に冬がやってきた | 辻内次根 | |
この句の背景に冬の海が見えました。「皸」でもなく「皺」でもない。この「皹」が意味するものは、きっと私の「冬の海」という想像を遥かに越えているのだろうと感じます。生きることの当たり前と、生きることの厳しさ。それぞれが持つ「冬」という季節の重さが、まるで波のように迫ってきました。乗り越えなくてはならない冬です。
|
評:樋口由紀子 | ||
くすぐれば笑うゼンマイ仕掛けの明白 | 永見心咲 | |
くすぐれば笑うのは人。人はゼンマイ仕掛けの機械のようであるともいえるので、ここまではなんとかわかる。が、「明白」って?
明らかで疑う余地のないものはそうあるものではない。くすぐる→笑う→ゼンマイ仕掛けを、いとも簡単に「明白」と言い切っている。「明白」なんて、その程度のものだと言っているのかもしれないと思った。 |
||
ちんぴらになるまえのみどりむきだし | 犬山入鹿 | |
「 ちんぴら」はまだ小物で大物になりきれない。しかし、その「ちんぴら」にさえなるまえ。まえのまえのこと、まだまだである。が、「みどり」って?いろいろなことが足らず、足らないから何の覆いもなくあらわに見えてくることがある。それらを総称しての「みどり」という色の比喩を使っているところが変わっていた。
|
||
恋恋破涙涙怒怒怒続続希 | 藤井智史 | |
無理矢理に読むと<れんれんはるいるいどどどぞくぞくき>。一応五七五に収まっている。無理矢理に解釈すると「恋は破れて悲しく腹も立った。しかし、いずれは希望へとつづく」。漢字の数はその漢字の度合を表わしているのだろう。意味内容はどうってことない、ありきたりのことである。しかし、それをこのように漢字一字づつを並べて表記したことが珍しかった。
|
評:丸山進 | ||
りんご噛むルビンの壺ができあがる | 怜 | |
向き合った二人の顔が壺のようにも見える絵は「ルビンの壺」と言われ、心理学者ルビンが考案した。この絵は我ら凡人も図鑑等でよく目にする。作者はリンゴを丸かじりした残りがルビンの壺とそっくりだと発見した。その想像力が抜群であり、上手く五七五に仕上げ、川柳の醍醐味を感じさせてくれたのがお手柄。川柳は発想の勝負である。
|
||
窮屈な帯の下には蝶の翅 | 城水めぐみ | |
和服の着付けの事を私は知らない。帯をぴしっと締めて行くのは何処か、蝶の翅を帯の下に入れる目的は何か?華やかな宴へ行くのだろう。セレブが集う中で一際目立ちたいのだ。その切り札が蝶の翅だ。それを背中に着ければ艶やかな翼のように広がる。これで夢だった女王様になれる。宴のラストは帯も脱ぎ捨て鮮やかな翼で夜空へひとり飛び去るのだ、シンデレラのように。読者の想像(妄想も)を掻き立てるのは佳句。
|
||
懺悔室牧師が頭突きする机 | 福村まこと | |
教会の懺悔室を私は見たことがない。懺悔室は信者と牧師だけの密室で、信者が過去の悪事や過ちを告白し、悔い改めることを誓う場である。牧師は告白を聞き、それを許す前提で全身全霊をもって指導や助言を行うのだと思う。牧師も人の子、教義と許し難い罪の狭間で激しい葛藤があるはずだ。置かれた机には牧師の頭突きの傷があり、血が滲んでいる。重いテーマを正面から取り組んだ姿勢と迫力ある表現を評価。
|
評:新家完司 | ||
もうどこの誰だか黄な粉かけたから | 海賊芳山 | |
何が何して何とやらの理屈が通じない「ナンセンス・ユーモア」とでも言うべき一句。敢えて理屈で分析すれば「黄な粉」は暗喩(メタファー)であり、直喩にすれば「黄な粉のようなもの」。それを何と受け止めるかは、読者それぞれによって違うのは当然のこと。
仲間をヘロヘロにしてしまったアルコール。全員をヨボヨボにしてしまった歳月など、すべて「黄な粉」だろう。 このように理屈で詰めてゆくと面白さが失せるのもナンセンス・ユーモアのナンセンスたるところ。やはり「わけがわからん面白さ」で置くべきだろう。 |
||
マンボウになろう縄のれんを潜る | 山田こいし | |
この「マンボウ」もメタファー。先ほどの「黄な粉」より分かりやすいのは「マンボウ」のおっとりした実態(餌を捕るときは素早い)が広く知られていて、すぐに思い浮かぶため。
誰もが「マンボウになろう」として縄のれんを潜るわけではないが、結果として似たようなものなってしまうのはやむを得ない。酔っぱらい全員がマンボウのように穏やかにユラユラしておればいいのだが、中にはトラになって吠えまくるのがいるので要注意である。 |
||
仏像が足りずにパンダ呼びました | 藤田めぐみ | |
前述の2句のように、この「パンダ」をメタファーと受け止めると、かえって分からなくなってしまう。ここは敢えて、仏像もパンダも明確な具象として受け止めることによって、皮肉(アイロニー)の効いた句になる。
バチアタリなことではあるが、仏像よりパンダのほうに人が集まるのは当然。また、多くの人は、仏像よりパンダを見ているほうが癒されるだろう。と、このように理屈で分析すると面白さが失せてしまうのは「黄な粉」の句と同じ。そもそも「仏像が足りずに…」という導入からナンセンスであり、わけがわからんナンセンス・ユーモアとして受け止めたい。 |
||
万両は真っ赤小さな咳が出る | 山本昌乃 | |
理屈っぽい人は、何事でも「なぜ?」と理由を求めたがる。本句においても、「万両が真っ赤で、なぜ咳が出る?」と考え込んでしまうこと無きにしもあらず。そのように、「万両」と「小さな咳」との因果関係を考えると分からない句となってしまう。
「万両」と「小さな咳」は無関係であることによって味が醸し出される。二物衝撃というほどの異質な組み合わせではないが、敢えて言えば「取り合わせの妙」。その妙味は「万両は真っ赤」「小さな咳が出る」の二章として受け止めることによって生じる。 万両の色によって冬の訪れを、小さな咳によって静寂と厳しい季節に向かう身を表している。 |
新家完治 様
選評を頂きありがとうございました。
風邪は拗れるし、締め切りは近いし・・・ふっと出た句に 素晴らしい選評をいただきました。
あの時の万両の身はあっという間になくなりましたが。
これからの励みにさせて頂きたいと思います。
大変お世話様になりました。
山本昌乃
久美子さん、コメントをありがとうございます。自分の句にコメントをいただくのはとても嬉しいことです。
文切さん、良い企画ですね。書いてらっしゃるように、(気軽に参加する方)も
(がっつり川柳をしたいという方)にも満足の企画だと思います。
コメントありがとうございます。
今回はリクエストの量が適度でしたので良い面だけが目立ちましたが、リクエストが多くなると全部には評がつけられない、選者が自ら評を書く句を決められないなど問題点もいくつかあります。
今後も色々と試しながら、WEB句会に最適な仕組みを模索してまいります。今後もよろしくお願いいたします。
まこと様
真摯で迫力のある句をありがとうござました。
この句を読んだ時には重いなあと思いました。ジョークやナンセンスやエロスやほのぼの感の句だと気軽に向き合えますが、宗教的な内容だとやはり構えてしまいますね。
でも一読した時から、こういう句はほとんどお目にかかったことがないので落とせないし、対峙してみようと思いました。
昔読んだ「沈黙」(遠藤周作著)が最近映画化されました。牧師の苦悩を扱ったものですが、その辺への思いがあったかもしれません。懺悔の背景への知識はほとんどないので、思ったことをそのまま書かせてもらいました。お子様の指導に正面から向かわれている姿勢には頭が下がります。佳句でよい体験のチャンスをいただき感謝しております。
文切さんにも良い企画を手際よく運営していただき感謝です。
これからもよろしくお願い致します。
進さま
お忙しい中予定になかった評までお引き受けいただきありがとうございました。今後もよろしくお願いいたします。
懺悔室牧師が頭突きする机
丸山進様
選評をいただきましてありがとうございます。私は牧師ではありませんが、子どもから罪の告白を受けたら、親としてどうするかと考えると、これはもう頭突きをするしかないと思い至りました。
WEB句会ではなかなか選評を頂く機会がなく、勉強になり、また励みにもなります。また、このような企画をされた森山文切様にも併せて感謝いたします。ありがとうございました。
コメントありがとうございます。気軽に参加したいという方も、がっつり川柳をしたいという方も、両方に満足いただけるようなWEBサイトを目指してがんばります。今後もよろしくお願いいたします。