評の比較:777777アクセス記念句会

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777,777アクセス記念で入選、没が割れた全40句について、選者4名の評を掲載します。評は作者が誰かわからない状態のものです。作者名はここには示しませんので、結果のページでご確認ください。評においては批判的な部分もありますが、句に対してのものであり作者を批判する意図はございません。

掲載、評について
・掲載順は3名入選>2名入選>1名入選句です。同じカテゴリ内では順不同です。
・句の後に()で入選にした選者と入選順位を示します。
例:(久20, 与18)は久美子20位入選、与生18位入選、由紀子没、文切没

選者

真島久美子
卑弥呼の里川柳会会長
月波与生
おかじょうき川柳社所属
樋口由紀子
川柳晴編集発行人
森山文切
毎週web句会代表
  傷口にひまわりの種埋めている(久1、与10、文9)
小さな傷から伸びる大輪のひまわりを想像した。「憧れ」という花言葉から、新しいスタート地点に立つ自分の姿が見えるようだった。
生命力のあるひまわりの種を自分の弱いところに入れて再生する、というイメージは良い。
傷口にひまわりの種は、確かにアイデアはいいと思う。「埋めている」がアイデア止まりを助長している。
ひまわりの種はお菓子やハムスターを想起させ、ひらがな表記も相まって柔らかいイメージがあるが、物理的には尖っている。「傷口」の複雑さが表現されている。
  かな遣ひま違へてより永蟄居(久8、与12、由7)
かな遣いを間違えてしまうと謹慎処分が下される。投句の字を間違えた時にボツになる感覚と似ていてユニーク。
面白い。永蟄居の原因がかな遣いの間違いしか思い当たらない時点でもう残念な人なのだろう。その味わいも川柳になっている。
「蟄居」とはつまりはひきこもりである。当世の問題を俎上にのせた。いろんな事情があるのを「かな遣ひま違へて」とみた作者の思慮がある。
“間”が「ま」になっているが、この部分はかな遣いとは言わない。この齟齬は「ひま」と「永蟄居」のリンクより句への影響が大きいと判断した。
  右の頬ぶたれたあとに雪がふる(久10、与6、文14)
右をぶたれたら「左もぶってください」と言えと習った。それを口に出来ないほどの冷たさ。「冷たい」と「痛い」は似ている。
マタイの福音書も想起させるが「雪がふる」で川柳らしくなった。雪がふる、は心象の比喩として読んだ。
「雪がふる」ではよくある感傷に落ちついてしまう。
右の頬をぶたれたら〜という有名な言葉があるので既視感は強くなるが、その言葉と下五の組み合わせで主張が生まれている。
  パンストの値札の横のカムチャツカ(与5、由11、文7)
微妙な値段の横の大自然という取り合わせは良いが、カムチャツカという句語のインパクトが大きすぎて、それ以外が心に残らなかった。
カムチャツカが面白い。以前値札の横には店にしかわからない符牒が書いてあった。それがカムチャツカなのだろうか。他の語に入れ替えてもカムチャツカほど面白くならないのがこの句の強さ。
「パンストの値札」のごく小さいものから「カムチャツカ」とは大きく飛ばしたものだと感心する。半島のかたちを思い浮かべたりした。
パンストのワゴンの横に絵葉書でもあったのだろうか。気付きがすごい。見過ごしてしまいそうな日常が切り取られている。パンストとカムチャツカの距離感も良い。おみあしはおふとめ。
  おじさんがいたからおじいさんを消す(久6、与13、由自句)
どっちか消せと言われれば、私もおじいさんを消すだろう。ただそれだけのことだが、この選択は非常に厳しくて面白い。
やがてそのおじさんはおにいさんに消されおにいさんは少年に消される。進次郎がいるから純一郎は消す、的な。
(自句)「い」がついているか、ついてないかで消されてしまう。「い」って、大きいんだ。
意味から離れて考えると、「おじさん」の4音字は「おじいさん」に全て含まれており、「おじいさん」を消すと「い」が余計に消える。「い」は「たから」なのに。この点が意味が示す “おじさん>おじいさん”とリンクしないと判断した。
  逃がしたりせぬ炎天のりんご飴(久自句、由2、文1)
(自句)日中に汗だくでりんご飴を食べている子供を見た。まるで太陽を食べているようだった。「せぬ」という表現に違和感があったが他の言葉が見つからなかった。
青森県人なのでりんご飴は身近。サラリーマンをやめて見知らぬ青森で頑張るりんご飴マンも身近。炎天下りんご飴マンがふらふらになりながらつまらないことを面白そうに働く姿が浮かんだ。
「逃がしたりせぬ」の突然の導入にたじろいだ。「炎天のりんご飴」がきらきらと輝いて、存在感がある。
りんご飴はかわいいイメージがあるが、赤く飴が垂れ下がる様はおどろおどろしい印象もある。「逃がしたりせぬ」「炎天」との組み合わせで、具象が持つ別のイメージが最大限に引き出されている。
  白線の内側にある起爆剤(久16、文15)
白線の内側は安全地帯のように思えるが、そこは「きっかけ」だらけだ。すぐに白線の外側に追い出される現実。
白線の内側にはいろいろなものがあるが、何が起爆剤なのかイメージできなかった。
「起爆剤」の言葉は強すぎて、ピンとこない。そぐわない。
既視感はあるものの、内なる怒りが表現されている。
  殴るならまずはあんパンから狙え(久9、由4)
柔らかいものを殴ることは簡単だ。狙われたあんパンと、アンパンマンが重なった。バイキンマンの囁きにも思える。
迷ったがジャムパンやカレーパンの場合との面白さの差、何故あんパンでなければならないのかがわからなかったので落とした。
「アンパンマン」なのだろうか。正義の味方から殴るのか。でも表記が違う。あんパンのやわらかさを思い出して、それを狙う、そのギャップに〇。
アンパンマンの句ではないのだが、そのイメージが強すぎる。アンパンマンはジャムおじ一家の主戦力であり、主戦力から狙うのは常套手段で意外性がなく、アンパンマンのイメージが主張に悪影響を与えている。
  エピローグふたたびウサギ追いかける(久14、文13)
やり残したことに思いを馳せる最終章。平凡だと思ったが「ウサギ」の存在で流れが変わった。あと少しのところで逃げられてしまうジレンマは続く。
アリスの話なのだろうか。ふりだしへ戻るということか。面白さが伝わらなかった。
「ふたたびウサギ追いかける」はとてもおもしろい。なにかなと好奇心がわくのに、「エピローグ」と最初に説明してしまっている。
既視感はある。アニメか何かでまさにという作品があるかもしれないと思い調べてみたが、これというものは見当たらなかった。ループする世界、繰り返す日常が示されている。
  サファイヤかアームカバーか選びなさい(由13、文3)
突拍子もない比較に唖然とした。私はアームカバー愛用者ではあるが、なぜこの二つを並べたのかが読めなかった。
AかBかで二物衝突させる句は多く構文に目が飽きてしまっている。といいながら自分も多用するので川柳を書く上で禁断の構文かもしれない。
「サファイヤ」と「アームカバー」もまったく別物のどちらかを選択させる。その訳のわからなさ。
辞書的には“サファイア”が正しそうだが、「サファイヤ」も十分認知されているし“ベッド/ベット”のように意味が変わらないので許容した。むしろ意味から離れて考えると「イヤ(嫌)」が「選びなさい」にかかっている。「サファイヤ」と「アームカバー」も色や輝き(例えば事務員の)にリンクがある。AかBか、は構文的ではあるものの、具象のチョイスが素晴らしい。
  飛び魚に道を説かれる哨戒機(久3、文2)
飛び魚を見たのは鹿児島の海だった。平和が当然で、その存在に平和を感じなかったことを反省。哨戒機に日常をひっくり返されたようだ。
道を説かれる、と擬人法にしたことで古めかしい印象を感じた。
確かにそうであってほしいなと思ったが、理が勝っている。
「説かれる」が効いた。「訊かれる」あたりだと主張が弱くなる。飛び魚の真っ直ぐ飛ぶイメージと、哨戒機の対比も良い。
  北欧のふりして司書を拐かす(由1、文8)
北欧神話のことだと思ったが「神話」ではなかった時の後味の悪さを感じた。
北欧に比べて日本は司書の社会的地位が低いので北欧のふりをすれば拐かし易いですよ、ってことだろうか?意味を横に置いて雰囲気で読むことはできますがそんなに面白いかなあ。
「北欧の」→「ふりして」→「司書を」→「拐かす」と言葉が言葉を呼び込んで、物語を作り上げている。「北欧のふりして」の比喩表現にまず惹かれた。しかし、ここを「北欧の人(男性、女性)のふりをして」と読んだのではもともこうもない。「北欧のふりして」の捉えどころのなさ、わけのわからなさがこの句の最大の魅力である。
東方projectが真っ先に思い浮かんだが・・・。「北欧」のスケールの大きさと「司書」の具体性からストーリーが生まれている。ピチューン!
  月刊誌『はにわと夢』の編集者(久13、由16)
私は絶対に買わないであろう「はにわと夢」だが、編集者に焦点が絞られていることに興味を持った。つい吹き出してしまった句。
ああそうですか、それはそれは。
単なる紹介が五七五にまとまる。『はにわと夢』はありそうでなさそう。
この手の手法を用いる場合、ありそうでないところを突く必要がある。はに丸など、はにわのキャラクターは結構いるので「はにわと夢」は”ありそう”の範囲と判断した。
  台風の目の真ん中で眠る鮭(与1、由12)
「台風の目」と「真ん中」が同じ場所にあり、無駄に感じる。
台風の目のさらに真ん中で鮭が眠るというのは絵画的。安福望の絵のよう。台風目真中眠鮭とすべて□が入っている漢字で構成されているのも凝った作りで面白いと思う。□って文字化けの文字だし。
そんな「鮭」は確かにいるだろうなと思った。気づかないことを気づかせもらった。
「眠る鮭」から遡上中ではなく海での鮭を想起した。私たちの日常生活で「台風の目」を意識するのは海上ではなく上陸した場合であり、「台風の目」と「眠る鮭」のイメージが自分の中でリンクしなかった。
  じゅげむじゅげむ死なないための呼吸法(与11、由5)
死なないことは大事ではあるが「じゅげむじゅげむ」の句を最近何句も見ていたので手が出なかった。
じゅげむじゅげむ、も川柳では多く使われる言葉であるが後半の「死なないための呼吸法」が良かった。死なないために生きているのであるしな。
「死なないため」が切ない。
死なないために呼吸をするという着想はどこかで見た。「じゅげむじゅげむ」も川柳ではたびたび見る表現で、新しさや強さは感じなかった。
  遠巻きに見ているもののある野焼き(久11、与8)
「見ている者の居る」ではなく「見ているもののある」に惹かれた。ぼんやりした表現だからこそ、景色が鮮明に映る。
大事件を目撃しても自分のことであっても傍観者のように遠巻きにして見ている人はいるもので。アマゾンの火災も心配であるけれどやはり遠巻き。
「野焼き」の捉え方はいいが、それ以上は何も感じなかった。
既視感が強かった。古川柳でありそうだと思った。
  天国にビシッと並ぶ電気椅子(与9、文12)
電気椅子という句材は良いと思うが、場所が天国というのは安易だと感じた。暗い句材を明るく詠むことはあるが、少しの影が欲しい。
天国なので処刑用の椅子でなく安楽椅子。天国は広大なヤマダ電機のようなところなのだろう。
天国の描き方としてはありそうでないようだが、あるようにも思った。
「ビシッ」と「電気」にイメージのリンクがある。天国と電気椅子は逆のイメージのようだが、一瞬で死ねるのは天国かもしれない。単純ならざる天国の表現として評価した。
  万華鏡きみはこっちを見て回す(久2、文5)
万華鏡なんてどうでもよくて「きみ」が全てだということに好感を持った。私を見ていない君と、君だけを見ている私の距離感が好きだ。
こっちを見て回すのでぼくが万華鏡の中にいるらしい。あなたから見えるぼくの不思議。
動作を想像したらかわいさがあるが、事実の記録。
万華鏡の句はたくさんあるが、「わたし」は万華鏡を見ておらず、「きみ」しか見ていない。万華鏡の句でこの視点は珍しい。鈍感そうな「きみ」に振り回される「わたし」が見えるが、「わたし」は振り回されることすら幸せに感じているだろう。
  ひょうたんの中で弾ける紙火薬(由14、文6)
打撃を加えなければ弾けないのではないかという素朴な疑問。ひょうたんの存在が生きているとは思えなかった。
言葉以上のイメージがわきませんでした。コップの中の嵐、的な?
そんなこともあるかもしれないなと思ったけれど、そこまで。
紙火薬は物理的な刺激がなければ弾けない。「ひょうたんの中」という刺激を受けにくい環境で「紙火薬」にどのような刺激があったのか想像させる表現である。
  流し目の冷やし中華は許さない(与4、文10)
夏らしくて、耳には心地良い句だ。どこか一語でも掘り下げて読みたかったが、そこを見つけられなかった。
最近は味もトッピングも多彩な冷やし中華ですが、流し目は許さんということらしい。流し目ならソーメンだろう。
「流し目」も「許さない」も人の気をひいただけで終わっているような気がする。
流すといえば素麺だが、冷やし中華を持ってきたところが面白い。意味的には流しそうめんからは離れているものの、流し冷やし中華は許されないし、流し目の冷やし中華も許されないだろう。
  ポーンだけのチェスだ自殺はやめなさい(与自句、文4)
ポーンだけのチェスでも、ジョーカーだけのトランプでも、自殺はダメだとしか思えなかった。
(自句)ポーンだけのチェス。勝っても満足感がないが負けたら口惜しいゲームを延々やらされているぼくら。
いくら「ポーンだけのチェス」を持ってきても、説教臭さが残る。
「自殺はやめなさい」は人生訓川柳的なので独自性を生むには組み合わせる言葉が重要となる。ポーンは将棋の歩と似ているが、歩がと金にしかなれないのに対して色々な駒に昇格できるし、将棋と違ってチェスで昇格できるのはポーンだけである。「だ」がなければリズムは整うが「自殺」という強い言葉に対抗するには必要と判断した。具象の力で主張に独自性が生まれた。
  最終話チョレギサラダのアップから(由8、文自句)
「チョレギサラダのアップ」は新鮮に映るが、チョレギサラダだけで成り立っている句だと思う。
そういう始まり方もあるでしょう。
視覚的に「チョレギサラダ」がどんと来た。
(自句)「チョレギサラダ」は和製の韓国語で韓国では通じないらしい。局所的なすれ違いから始まった最終話は、もう戻れないところまで進んでいる。
  煙突の先から滲む文字の色(由15)
曇天に同化してゆく煙突を思ったが、下五が説明的で惜しい句だと思う。この句こそインパクトのある具象を置いて欲しかった。
文字の色というから燃やしているのは本とか手紙とかかな。煙が文字の色で滲むという表現は非映像的で映像に頼らない言葉の強さを感じる。
「文字」ではなく「文字の色」と限定したところがよかった。
煙突から出てくる色は白か黒かと思うが、どちらかで印象がかなり変わる。どちらの色なのか判断できなかった。
  だまってる炭酸水と花火待つ(久4)
ペットボトルのサイダーを想像した。その透明感と、まだ花火の上がらない夜空。空いている左手は誰と繋ぐのだろうか。想像力が刺激される。
静かな炭酸水というのはドラマを感じるが、花火待つもドラマであって、やや芝居じみたメンドくさい関係を感じる。
個人的な感慨どまりのように感じた。
弾ける前の炭酸水と花火を待つ「わたし」を重ねた表現だが、イメージが被りすぎている。
  意味だけで立つ身体から腐敗臭(久7)
意味を求めることが馬鹿らしくなる時がある。意味がある、意味がない。そんなことを考えている時間から臭ってくる何か。
意味だけで立つ、ってなんですか?形而上的な?
「意味」が生かされていない。おおげさでしょう。
「意味だけで立つ身体」の前向きな強さに対し、下五のネガティブさが自分の中でマッチしなかった。
  控えめな期待に揺れるゴムボール(由10)
揺れるのならば、ゴムボールである必要は無いのでは?本当に控えめなのか、そうでないのかが曖昧だった。
もっと弾みたいのに期待の低さで弾めず揺れるだけのボール。
「期待」と「ゴムボール」が発見。
ゴムボールはいかにも揺れそうな具象なので、組み合わせる言葉にインパクトが必要となる。「控えめな期待」ではインパクトが弱い。
  懐かしい水の太鼓が鳴る祭(与2)
水の太鼓をどう理解すればいいのか。懐かしいことを、懐かしいと言わずに表現してほしかった。
今回難解な脂っこい句が多かったのであっさりした句も意識的にいくつかいただいた。水面を太鼓のように叩く。ふるさとは遠くても祭囃子が聞こえる場所の入り口はすぐ近くにあったりする。
「懐かしい」「水」「太鼓」「祭」とおいしい言葉が並んでいるだけ。
「懐かしい」は読者に感じてもらうべきことではないだろうか。直接示すことが効く表現とは思えなかった。
  花びらのいちまいずつにある追慕(与7)
常套句とまではいかないが、似た句を見たことがあるので外した。
思えば桜吹雪の桜の花びらの、思えば咲き誇る向日葵の花びらの、一枚一枚に追慕を感じるほどの、別れの多き毎日。
「花びら」に「追慕」は付きすぎ。
「花びら」と「追慕」はイメージが近すぎる。既視感の範囲から抜け出すことができていない。
  あの世には無いとお化けが寄るIKEA(久12)
佐賀県にIKEAは無いので、とても憧れている。お化けも私と同じだと思うと嬉しかった。視点が素直。
仙台にもIKEAはある。
IKEAの一面を捉えているのかもしれないが。
面白いと思ったがIKEAの必然性に疑問。池田屋かなぁ。遠いか。
  助手席で白身魚の七回忌(与3)
単純に、助手席と白身魚と七回忌の繋がりが見えなかった。助詞によって大きく左右される句だと思う。
面白い。鮭、白身魚と、今回は魚類に弱かった。運転中助手席の人は運転支援をしてくれれば助かるのだけど、寝ているか自分勝手によくわからないことを話す人が多い。
さっぱり理解できなかった句。
意味が遠かった。車に七年も白身魚(の食べかす)があったら臭いし、七年気付かないなら臭いはしないだろう。かといってイメージもつかめなかった。
  白ネギの泡沫にジェラシー幽か(久5)
白ネギという日常的な句材と「泡沫」の取り合わせが、台所を不思議な空間にしている。第六感が、ネギを刻む手を止めさせたようだ。
嫉妬深い人は白ネギの泡沫にでさえ嫉妬するのだろう。10メートル以内には近づきたくない人。幽か、という表現は初めてみたけど有るの?
「白ネギの泡沫」に無理を感じる。「泡沫」も「幽か」も見栄えだけがいい。
「幽か」はあえて示さない方が主張が強くなると判断した。
  ラッキーも6つ続くとややウザい(与16)
なぜ6つか考えたが、考えることもウザくなった。
本人は全然ラッキーと思ってないのに周囲が「ラッキーラッキー」と肩をポンポンされることありますよね。7回続けばラッキーセブンだけどだいたい続かない。
ラッキーが続くのはいいではないか。無理に悪ぶって共感を誘っている。
777777アクセス記念句会ということから離れると、「6つ」である必然性がつかめなかった。
  棄てられて真実語りだすテレビ(文16)
昭和を感じる句だが「真実」というどっしりした句材が邪魔だった。
テレビはちょっと昭和っぽい。
いっそ、嘘を語りだしてくれる方が楽しい。「真実」は生真面目すぎる。
既視感はあるが、テレビ離れが進んでいたりN国が議席を獲得したりという社会情勢を鑑みて主張があると判断した。
  透明なパンツをはいて離陸する(由6)
はいていないのでは…。
透明なパンツはパンツといえないのでは。蛇足ですが透明なパンツをはいている状態を津軽弁では「モフン」といいます。小学校の頃「モフン」と呼ばれていた同級生は同窓会でも「モフン」と呼ばれます。可哀想なこと可哀想なこと。
自分の存在がここにあるのだというように読めた。
「透明」と「離陸」にはイメージのリンクがあると思うが、パンツをはくことは「離陸」を阻害するイメージがある。この齟齬を消化できなかった。
  少年の頸にひみつの真珠星(久15)
「スピカ」と詠めば字足らずになるので迷ったが、「首」ではなく「頸」と表記したことで、古い小説に入り込んだような感覚が残る。
真珠星だからスピカ?。恋している自分だけが知っている少年の秘密。
個人的な事柄に終わっている。そうですかとしか言えない。
「ひみつ」と「真珠」で男性器の真珠のイメージが強かった。「ひみつ」以外は硬い表記だが、「ひみつ」だけを柔らかくしたことが主張には効いていないと判断した。
  大輪の花火のかけら我に降る(与14)
花火のかけらという表現は面白いが「我」は必要無いと思う。「我」があることで、夜空が狭くなった気がした。
打ち上げの真下で見ていると終わった花火のカケラが降り注ぐ。カケラは真っ黒なので花火の燃えカスの炭なのか花火で破れた夜の闇のカケラなのかわからない。自分は真っ黒になりながらまだまだ綺麗な花火を見上げている。
自己陶酔から離れていない。それがどうしたのか。
「我に」はなくても「わたし」に降ることは示せる。「我に」があることが主張に効いているとは思えなかった。
  セロニアス・モンクはセロニアス・モンク(由3)
ジャスピアニストはジャズピアニスト。と言われているようで、その世界を広げられなかった。
かなり迷ったが落とした。マイルス・デイヴィスはマイルス・デイヴィスと書いた場合の面白さとの差がわからない。「~は~」という構文で~はなんでもいいというわけでは当然ないのだけれど。
「セロニアス・モンク」に匂いや肌触りを感じた。
AはA構文。音字数を贅沢に使った表現で思い切りは感じたが、「セロニアス・モンク」でなければならない理由が見つけられなかった。
  手鏡に石原さとみ貼ってみた(与15)
この気持ちが分からないではないが、私なら沢尻エリカを貼る。
自分が映ったということなのだけど。前向きに生きよう。
「石原さとみ」ではあたりまえ。彼女に憧れる男女は多い。もっと意外な人だったらよかったのに。
「石原さとみ」はタシカニにかわいいけど、「石原さとみ」じゃきゃだめ?だめなの?どうしても?んもぅ、しょうがないわねぇ・・・でもボツよ!
  たこ焼きいか焼きたい焼きもどかしい(由9)
確かに声に出して読んでみるともどかしい。句の組み立て方ももどかしい。
なかなか焼けないのでもどかしい。
「もどかしい」とかけ離れているものを並べた功績。
たこ焼きといか焼きはそのものがある、たこ焼きとたい焼きは粉を使うなどそれぞれ微妙に性質が被るが、これら被りと「もどかしい」のイメージがリンクしなかった。
  虹の色断りもなく七並べ(文11)
虹と七の取り合わせがありきたり。「断りもなく」がポイントになっているが、取り合わせによって台無しになっている気がする。
七並べ、が虹の七色と近い。近いから並べたのだろうけど。並べた効果はあったか。
「断りもなく」でつなぐのに無理がある。
「虹」と「七」はつきすぎのようにも思うが、中七で“本当に当たり前なのか”という主張が生まれた。

最後に

没の理由も公開されるというレギュレーションにも関わらず多くの方にご投句いただきありがとうございました。
入選と没が割れた句40句全てにコメントするという膨大な時間と労力がかかる企画に、ご多忙にも関わらずご協力いただきました選者のみなさまにも御礼申し上げます。ありがとうございました。

募集時に記載のとおり、アクセス記念句会は今回が最後です。現状本サイト管理者が川柳に使える時間が以前に比べかなり短くなっております。2019年8月のライブ川柳句会でも少し触れましたが、今後はできるだけ管理者ひとりで行える範囲でサイトを運営していきます。
今後本サイトのweb上で実施する句会では外部の方はお招きせず、森山文切選で実施します(100回ごとの毎週の句会と、どなたかと実際お会いする時にライブ句会が行える場合は除く)。
また、今後は投句者としても柳誌や大会での投句はほとんど行わず、web上で活動します。私自身の投句活動より川柳の普及に時間を使います。

外部の方をお招きして入選/没の理由を議論する企画は、年1回実施予定の「毎週web句会誌上川柳大会」で実施します。次回第2回はクラウドファンディング方式で郵送受付を行わないつもりでしたが、ありがたいことにすでに複数のご寄付をいただき資金の目処が立ちましたので、クラウドファンディングは実施せず郵送の受付もします。2019年12月1日投句受付開始予定です。みなさまのご投句をお待ちしております。【2019.10.29追記】第2回毎週web句会誌上川柳大会は中止しました。

「評の比較:777777アクセス記念句会」への8件のフィードバック

  1. テレビは昭和ですか。ううむ。思わず笑ってしまいました。でもスマホだと軽すぎると思うのはやはり昭和人なのか。個人的にNHK、民法問わずテレビの報道に対する不信感というのが根底にあって、でもそれはテレビ自身の意志じゃなくて、人間に棄てられて初めて思うところの真実を自らの意志で語りだすというファンタジーは、むしろ生真面目すぎる皮肉なのか。ううむ。
    ちなみに地デジ以降、テレビは全くと言っていいほど見ていません。

    1. 民法は民放の間違いでした。
      失礼しました。

      選者の皆様、コメントありがとうございました。
      勉強になりました。

      1. 忠さま

        コメントありがとうございました。
        私もテレビはほとんど見ておりません。子供の番組だけですね。

  2. 雪上牡丹餅さま

    コメントありがとうございます。

    >6にしたきっかけは句会の名前
    この句に関してはこれの影響が大きいです。いわゆる「楽屋吟」に該当し、内輪ネタやその会でしか通用しない句のことを言います。普遍性がないとみなされることが多いです。

    数字へのこだわりを示すには「続く」はひらがなの方がよかったです。また「ウザい」も数字を想起させる表現に変えると、読み手の数字への興味を促せたと思います。

    1. 返信ありがとうございます。

      そんなに影響が強いものなのですね。

      0を入れる方法が他に思いつかなかったので「ちょうど句会の名前にも合うし、良いか」くらいの感じで入れてみました。

      勉強になります。

  3. 忘れてましたが、「と」も10を連想して詠んだものでした。

    1. だから、「続けば」ではなく「続くと」にしたんでした(9と10を入れるため)

  4. 数にこだわって開催された句会なので、数にこだわって詠んでみたら、ウザがられてしまいました苦笑

    一応、
    「ラッキー」は7
    「6」は文字通り6と、後ろにくる「つ」から読みが「むっ」になり、無を連想して0も含むと考えられる(もちろん、6にしたきっかけは句会の名前です)
    「続く」はひらがなに直すと「つづく」であり、「6つ」の「つ」から続けて「つ」が3つ続く(以上、2つの理由で「6個」にはできませんでした)
    「つ」からは2(two)も連想できるかもしれません
    さらに、「続く」の「く」から9が連想できる
    最後に、「やや」の「や」から8が連想できてそれが2つ続く

    …といった具合に数(というより、もっといえば特定のルール)にこだわって詠むこと自体もかなりウザいと感じたのでこんな句を詠んでみました。

    句の意味については読み手の解釈に任せます。

    長文及び没の言い訳失礼しました。

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